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最後の最後まで書いていくと、「ああ、やっぱり作家はバンドじゃないんだな」って思って(笑)。誰かが手助けはしない、ダメ出しもしない。その孤独さの極限がパーソナルに迫ったということは、読者一人ひとりも孤独だし、後藤さんにも後藤さんの孤独があって、それがむき出しで正面に突っ立ってるんだけど、そこにこそ希望が見えたっていうことなのかな。

古川:ホントに脊髄反射ですよ。あの時期はそれしかできなかったんです。そのとき後藤さんだったら、音楽史の本を読んでいたから「新聞」っていうキーワードが浮かんでしょうけど、僕の場合は村上春樹さんが『アンダーグラウンド』(1997年に刊行。村上春樹が地下鉄サリン事件を追ったノンフィクション作品)を書いてて、「お前はどうするんだ?」って言われていたようなことに対して、僕は別に公の場所でマスに発言なんかしたくもないし、できる立場でもないから、地を這ってみるっていう結論だったんです。

後藤:『アンダーグラウンド』は「新聞」のひとつのヒントでもあったんです。

古川:ああ、人々の声の集積。

後藤:はい、あれを読んで、村上春樹ほどの作家がそれをやっているってすごいなって。

結局2011年以降って、みんな想像力を悪い方に使っちゃって、すごくきつくなってたんだけど、今度は想像力をいい風に、楽しい風に使うことによって、初めて輝かしい方向に船を漕いでいけるのかなって。
また、中高生時代には所謂おたく趣味に傾倒していた。例えば、「週刊少年ジャンプで連載されていた漫画『幽☆遊☆白書』の登場人物・蔵馬さんを愛していた。」と述べ、作品中の蔵馬登場シーンの切り抜きなどを収集していた。 この頃に「蔵馬について書いた小説が、自身初の小説であった。」と思い返している。ただ、当時蔵馬の同人作品目的でコミックマーケットに訪れた際には、蔵馬が登場する同人誌をみて「「私が愛する蔵馬が私以外とセックスをするなんて。」と失恋をしてしまい。生身の人間のほうが良いと思った。」と本谷は述べている[4]
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僕自身は結婚してから長い間、結婚生活というのはお互いの欠落を埋めあうためのものじゃないかというふうにぼんやり考えていました。でも最近になって(もう結婚して25年になるのだけれど)それはちょっと違うのかなと考えるようになりました。それはむしろお互いの欠落を暴きたてるー声高か無言かの違いはあるにせよー過程の連続に過ぎなかったのではないかと。
結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。結婚生活というのは煎じ詰めていけば、そのような冷厳な相互マッピングの作業に過ぎなかったのどはあるまいかと、このごろになってふと思うようになったのです。もちろんこれは僕の単なる個人的な意見に過ぎませんが、いずれにせよ、考えてみると怖いことですね。
ぼたん園 2013
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(via bamsesayaka)

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